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角川映画(かどかわえいが)は、角川映画株式会社、もしくは角川映画株式会社発足以前にその親会社である出版社の角川書店(法人格は現在の角川グループホールディングス)ないしは角川春樹事務所1976年 - 1988年角川書店に吸収。1996年設立の同名会社とは別)によって1976年より製作された一連の映画の通称・総称である。

一般的に「角川映画」という呼称は、角川書店による映画を元にしたメディアミックス展開の一例として捉えられる場合が多い。「角川商法」としてメディアミックスの成功例の代表として取り上げられている。

概要編集

角川春樹時代 編集

1976年、当時角川書店社長だった角川春樹は自社が発行する書籍(主に角川文庫が中心となった)の売上げ向上のため、映画を利用することにした。当時、推理作家の横溝正史ブームを仕掛けていたため、横溝作品の映画化に関わっていた。最初は1975年ATGの『本陣殺人事件』に宣伝協力費の形で50万円を出資。ところが次に組んだ松竹の『八つ墓村』が松竹側の都合で製作が延期され、書店で予定していた横溝正史フェアに影響したことから、角川は自ら映画製作を行うことを決意した[1]

それが角川映画の1976年公開の第1作『犬神家の一族』である。それまで映画会社はテレビをライバル視していたことと、あまりに広告料が高いため、テレビCMはあまりやらなかった。しかし角川は前代未聞の広告費をつぎ込みテレビCMなど大規模な宣伝をうち、書籍と映画を同時に売り込む事によって相乗効果を狙ったもので、結果大成功を収める。映画製作を目的とした角川春樹事務所も1976年に設立された。翌年には第2作『人間の証明』(1977年)の宣伝のキャッチコピーとなった「読んでから見るか、見てから読むか」「母さん、ぼくのあの帽子、どこへ行ったんでしょうね」は大量のテレビCMが流され、流行語となった。他の制作会社とは桁違いの資金をつぎ込み、脇役に三船敏郎鶴田浩二ら超大物スターを使い大ヒットした。監督へも高額の演出料を払い、それまでの日本映画の相場を変えてしまった。

テレビCMによる大量宣伝で、映画と出版による相乗効果のメディアミックスは、角川商法と呼ばれ、横溝正史に続いて森村誠一大藪春彦赤川次郎作品などを次々と映画化。角川文庫には映画割引券をしおりとして封入していた[2][3][4][5]。映画音楽や主題歌にも力を入れていた[6]

1970年代は、1978年の『野性の証明』、1979年の『戦国自衛隊』、1980年の『復活の日』と大作路線も敷く。この1本立て上映の大作路線は、当時は2本立てのプログラムピクチャーを上映していた他社にも影響を与えて、大作ブームを招いた[7][8][9]

この他、1976年から1980年頃まで、大阪毎日放送制作でTBS系で「横溝正史シリーズ」や「森村誠一シリーズ」などのテレビドラマを一連の角川映画と連動する形で角川春樹事務所が企画を手がけた。

1980年代は、大作路線から転換して、スター・システムによる2本立て上映のアイドル映画を手がけた。特にコンテストで発掘され角川春樹事務所に所属した薬師丸ひろ子渡辺典子原田知世の3人は「角川3人娘」と称され、薬師丸は『野性の証明』(1978年)『セーラー服と機関銃』(1981年)で、原田は『時をかける少女』(1983年)『愛情物語』(1984年)で、一躍スターダムへと駆け登った。この3人はテレビに露出することが少なく、テレビに出演しているアイドルが映画に出演するという1970年代以降の形でなく、映画全盛期のスクリーンでしか見られなかったかつての映画スターと同様の存在として、若い観客を映画館へ呼び戻した[10][11][12]テンプレート:要出典範囲、角川3人娘がベストテン番組にランキングされても「事務所の方針」の名目で出演を辞退させた事も多かった。角川3人娘と角川映画の情報を誌面を飾る雑誌『バラエティ』も創刊して情報の発信に努めた[10]。そして大作路線からの転換によって、当初の市川崑佐藤純彌といったベテランの監督から、当時新進の大林宣彦相米慎二井筒和幸森田芳光根岸吉太郎崔洋一らを積極的に起用するようになり、若い才能にチャンスを与えて、監督の世代交代を早めた[13][14][15][16]1983年からは、マッドハウス東映動画と組んで、『幻魔大戦』を手始めにアニメ製作にも進出して話題になる。

こうして、1970年代末から1980年代半ばの角川映画は、洋画とテレビに押される一方だった日本映画界の停滞を打ち破るヒットを連発。角川映画の指揮をとり、キャッチコピーも考えていた角川春樹は山本又一朗らの独立プロデューサーとともに映画界の寵児になり[17]、映画宣伝の際は俳優や監督以上に積極的にメディア露出して、ある種のカリスマ性すら発揮。角川映画は角川春樹の代名詞とも言える存在であった。当初は話題先行と見られて映画評論家からは低かった評価も、1982年の『蒲田行進曲』、1984年の『Wの悲劇』と『麻雀放浪記』が映画賞を受賞したりベスト10にランクインするなど、内容的な充実も認められるようになった[10][18][19][20]。「狼は生きろ、豚は死ね。」「カイカン。」等劇中の台詞も大流行し今なお盛んにパロディー化されている。

日本映画界に定着する一方で、1980年代後半以降は、角川映画からはかつてのイベント性やブーム性が失われ、薬師丸ひろ子ら看板スターの人気がかげりが出るなどして、角川映画からは当初の勢いは失われていった。これには、フジテレビが映画界に本格参入して、角川映画のお株を奪う大量スポットやテレビ局を挙げてのメディアミックス戦略をしかけるなどした影響もあった[21][22]1985年には薬師丸ひろ子が角川春樹事務所を退社。1990年には久しぶりの大作『天と地と』を手がけ、1992年にハリウッド進出第1弾と称した『ルビー・カイロ』を製作するが、『ルビー・カイロ』は失敗。この映画事業の失敗が、角川春樹と弟の角川歴彦の対立を呼び、1992年に角川書店のお家騒動が勃発[23]。続けて、1993年に角川映画を牽引した角川春樹が薬物所持により逮捕され、角川書店を離れる事態に至り、『REX 恐竜物語』が角川春樹が角川書店在籍中の最後の映画となる。

角川春樹製作時代の「角川映画」の著作権を巡って、角川春樹と角川書店の間で係争も起こった。著作権は自分にあるとする角川春樹の提訴に対して、東京地方裁判所は角川映画の著作権を角川書店側に認める判断を下している[24] 。角川春樹がかつて製作した映画にはかつては「Haruki Kadokawa Presents」というタイトルクレジットがあったが、これは改定されている。

角川歴彦時代編集

角川書店製作時代 編集

1993年の角川春樹社長辞職以後も、社長に就任した弟の角川歴彦によってメディアミックス路線は継承された。ただし春樹時代のようなプロデューサーの強烈な個性が発揮されず、製作委員会方式が多くなっており、角川春樹の頃のように積極的に「角川映画」をアピールしなかった。1997年になって『パラサイト・イヴ』『失楽園』『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』の元旦の新聞広告で「新角川映画始動!」と角川映画の再開を正式に謳った[25]

1995年にはヘラルド・エースと提携して、エース・ピクチャーズとし、角川書店の関連会社とした。エース・ピクチャーズは、さらに1998年になって、アスミック・エースになる。映画以外にも、歴彦が角川メディア・オフィスとザテレビジョン社長も勤めていた時代に進めていた漫画ライトノベルを原作にしたアニメゲームを中心にメディアミックス展開を継続した。代表的な例として『新世紀エヴァンゲリオン』『スレイヤーズ』『サクラ大戦 活動写真』などがあげられる。

角川映画株式会社設立後 編集

2002年に、経営不振に陥っていた大映とその親会社である徳間書店は、過去の作品資産や調布市の大映スタジオを含めた全事業を角川書店へ売却することで合意した。但し大映テレビは徳間の資本下ではなかったためこれに含まれていない。同年11月に角川書店は株式会社角川大映映画を設立し、大映の事業を同社が譲り受ける新旧分離方式による買収となった。

2004年、角川本体で映画関連の事業を行っていたエンタテイメント事業部を同社に移管すると共に、商号を角川映画株式会社とした。

2005年インディペンデント系の映画配給を営む日本ヘラルド映画ヘラルドグループの中核企業)を角川グループが買収。角川映画と合併し、商号を角川ヘラルド映画株式会社とした。 その後の2007年に、同社は再び社名を「角川映画株式会社」に変更した。

日本ヘラルド映画を買収したことで、2006年に47.67%の株式を持っていたアスミック・エースエンタテインメントの出資比率を下げたが、依然として引き続き20%の資本を持つ角川書店の関連会社である(但し、厳密には角川グループホールディングス(旧角川書店→角川HLD)の関連会社で、現在は同社が直接保有している)。なお、ユナイテッドシネマについても同様に角川グループホールディングスが20%程度出資している。

ビデオやDVD類のソフトウェア事業に関しては、角川書店が擁する邦画(従来の角川映画)・アニメ作品に加え、大映作品・日本ヘラルドおよびアスミックがソフト発売権を有する洋画作品(2009年までアスミックが販売・発売権を有していたドリームワークス作品を含む)の発売元として角川エンタテインメントが担っていたが、2009年に角川映画に吸収合併されている。

一連のM&Aの結果、それ以前の角川書店が行ってきたゲーム・アニメ作品や小説作品の映画化に関わる制作・出資という役割に加え、大映の流れから自前のスタジオ施設・人員による邦画製作が可能となった。ヘラルドの流れから海外作品の配給に積極的に取り組み、角川書店グループのバックグランドによってノベライズの刊行が盛んである。その展開は一層強まっており、こうした映画・映像関連の部門は角川映画株式会社を中核とした事業体制になったことで完全に固まった物となっている。なお、旧・日本ヘラルドは映画興行事業(シネプレックス)を行なう子会社ヘラルド・エンタープライゼスを抱えており、この買収により、従来の角川書店・旧大映による製作部門に加え、映画館運営・ミニシアター系の配給まで一貫して手がけられるメジャーの一角に食い込むようになった。ただし、配給網は既存大手3社(松竹東宝東映)と比べて大きいとは言えず、『沈まぬ太陽』など大作や話題作については、東宝の配給網を借りる形で劇場公開されている[26]。2006年には新宿三丁目に所在する三和興行所有の新宿文化シネマ(同年9月閉館)を借り上げる形で同年12月に直営のミニシアター角川シネマ新宿)をオープンし、旧ヘラルドの配給網の有効活用を模索している。

角川グループにおける事業再構成に伴い、角川シネプレックスの他、日本映画衛星放送グロービジョン日本映画ファンド・Kadokawa International(香港:角川書店系の映像コンテンツおよびアスミック系配給作品の海外販売など)が角川映画子会社に置かれている。

主な映画作品 編集

1970年代 編集

1980年代 編集

1990年代 編集

2000年代 編集

2010年代 編集

脚注編集

  1. 角川春樹『わが闘争 不良青年は世界を目指す』イースト・プレス、2005年、pp.137-138
  2. 日本ジャーナリスト会議・出版支部編著『目でみる出版ジャーナリズム小史 増補版』高文研、1985年初版、1989年増補版、p.106
  3. 角川春樹『わが闘争 不良青年は世界を目指す』イースト・プレス、2005年、p.140
  4. 1980年代は、劇場公開と同日に映画をビデオ化して発売もしていた『別冊映画秘宝VOL.2 アイドル映画30年史』洋泉社、2003年、p.97
  5. 井筒和幸『ガキ以上、愚連隊未満。』ダイヤモンド社、2010年、p.120
  6. 樋口尚文『『砂の器』と『日本沈没』 70年代日本の超大作映画』筑摩書房、2004年、p.147
  7. 関根忠郎、山田宏一、山根貞男『惹句術 映画のこころ 増補版』ワイズ出版、1995年、p.410
  8. 中島貞夫『遊撃の美学 映画監督中島貞夫』ワイズ出版、2004年、p.312
  9. 樋口尚文『ロマンポルノと実録やくざ映画 禁じられた70年代日本映画』平凡社新書、2009年、p.319
  10. 10.0 10.1 10.2 『別冊映画秘宝VOL.2 アイドル映画30年史』洋泉社、2003年、p.98
  11. 金澤誠「脱スター以降の個性派たち」『<日本製映画>の読み方 1980-1999』武藤起一、森直人、フィルムアート社編集部編集、フィルムアート社、1999年、p.155-156
  12. サブカルチャー世界遺産選定委員会『サブカルチャー世界遺産』扶桑社、2001年、p.254
  13. 佐藤忠男『日本映画史3 1960-1995』岩波書店、1995年、p.242
  14. 井筒和幸『ガキ以上、愚連隊未満。』ダイヤモンド社、2010年、p.114
  15. 森田芳光『森田芳光組』キネマ旬報社、2003年、pp.108,114
  16. 金子修介『ガメラ監督日記』小学館、1998年、p.39
  17. 斉藤守彦『宮崎アニメは、なぜ当たる スピルバーグを超えた理由』朝日新聞出版・朝日新書、2008年、p.10
  18. 『キネマ旬報ベスト・テン全史1946-1996』キネマ旬報社、1984年初版、1997年4版、p.212
  19. 野村正昭『天と地と創造』角川書店、1990年、p.17
  20. 重政隆文『勝手に映画書・考』松本工房、1997年、p.20
  21. 大高宏雄『興行価値』鹿砦社、1996年、pp.24-25,64
  22. 金田信一郎『テレビはなぜ、つまらなくなったのか スターで綴るメディア興亡』日経BP社、2006年、p.119
  23. 岩上安身誰も書かなかった『角川家の一族』(前編)」『宝島30』1993年11月号、宝島社
  24. 平成 13年 (ワ) 13484号 著作権確認請求事件 著作権判例データベース
  25. 大高宏雄『日本映画逆転のシナリオ』WAVE出版、2000年、pp.94-97,113
  26. 平成期の大映においても、東宝洋画系の配給で公開していた。

外部リンク 編集

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